端午の節句「かつおの一本釣り」の土佐清水市下ノ加江へ
2008/05/05 (Mon)
5月5日(月曜日)
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今日は高知県土佐清水市の私の実家からブログを書いています。昨日は本当は午前中に宇和島を出るつもりでしたが、隣町の次女の訪問を受け、結局、宇和島を出るのは3時過ぎてしまいました。

今日の写真は宇和島からの帰りに撮影したものです。昨日は愛南町で「かつお祭り」などのイベントがあって、その帰りの車で宇和島への登りの道は渋滞していました。
以前は私も「かつお祭り」のイベントの1つテニス・トーナメント「かつおカップ」にも出場したりしていたので懐かしいです。
帰りの買い物で中村のフジでは「かつお」が1尾1500円していたんですが、下ノ加江の港では「めじか」より安かったそうで、親父が「初かつお」の刺身を作ってくれていました。
日本の四季と節句
今日5日は国民の休日で「子供の日」ですが、元々「端午の節句」として親しまれている事はご存知の通りです。今年は「夏も近づく八十八夜」が5月1日、立夏が5月5日です。
節句は例えば3月3日は「ひな祭り」、7月7日の「七夕祭り」は「七夕の節句」などとして、今でも様々な形で暮らしの中に息づいています。

節句という言葉の由来
以下の記事は京甲冑・平安武久さんのHPを参照しました。
四季がはっきりしている日本では、昔から季節の節目(ふしめ)の祝祭日を「節日(せちび・せつび)」といって、行事やお供え物をして祝って来ました。
その節日のお供え物「節供(せちく)」という言葉が節日そのものを指すように使われるようになる過程で節供(せちく→せっく)→「節句(せっく)」となったともいわれています。
端午の節句・言葉の由来
それでは、元に戻って「端午の節句」ですが、これは奈良時代から続く古い行事だそうです。
端午(たんご)とは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味です。5月に限ったものではないのです。

それが午(ご)→五(ご)になり毎月5日を指すようになり、それがやがて5月5日になったともいわれています。
端午の節句・行事の由来
季節の変わり目・端午の日には元来、病気や災厄をさけるための行事が行なわれていたようです。
日本の宮廷では厄除けの菖蒲(しょうぶ)をかざったり、臣下の人に薬草を配ったりしました。また悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式などです。
男の子の節句になった由来
やがて武士の時代になると「尚武(しょうぶ)」=(武をたっとぶ)と「菖蒲」をかけて、端午の節句を尚武の節日として祝うようになったとの事です。

それがやがて江戸時代に幕府の重要な式日に定められたり、将軍の男児が誕生するとのぼりを立てて祝ったりしました。
このような事が、やがて庶民にも広く、男の子の節句として広まったものといわれています。
京甲冑・平安武久HP参照
私の子供の頃は、我が家では幟旗を立てて、母が柏餅やちまきを作ってくれた事を思い出します。
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今日の写真は宇和島からの帰りに撮影したものです。昨日は愛南町で「かつお祭り」などのイベントがあって、その帰りの車で宇和島への登りの道は渋滞していました。
以前は私も「かつお祭り」のイベントの1つテニス・トーナメント「かつおカップ」にも出場したりしていたので懐かしいです。
帰りの買い物で中村のフジでは「かつお」が1尾1500円していたんですが、下ノ加江の港では「めじか」より安かったそうで、親父が「初かつお」の刺身を作ってくれていました。
日本の四季と節句
今日5日は国民の休日で「子供の日」ですが、元々「端午の節句」として親しまれている事はご存知の通りです。今年は「夏も近づく八十八夜」が5月1日、立夏が5月5日です。
節句は例えば3月3日は「ひな祭り」、7月7日の「七夕祭り」は「七夕の節句」などとして、今でも様々な形で暮らしの中に息づいています。

節句という言葉の由来
以下の記事は京甲冑・平安武久さんのHPを参照しました。
四季がはっきりしている日本では、昔から季節の節目(ふしめ)の祝祭日を「節日(せちび・せつび)」といって、行事やお供え物をして祝って来ました。
その節日のお供え物「節供(せちく)」という言葉が節日そのものを指すように使われるようになる過程で節供(せちく→せっく)→「節句(せっく)」となったともいわれています。
端午の節句・言葉の由来
それでは、元に戻って「端午の節句」ですが、これは奈良時代から続く古い行事だそうです。
端午(たんご)とは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味です。5月に限ったものではないのです。

それが午(ご)→五(ご)になり毎月5日を指すようになり、それがやがて5月5日になったともいわれています。
端午の節句・行事の由来
季節の変わり目・端午の日には元来、病気や災厄をさけるための行事が行なわれていたようです。
日本の宮廷では厄除けの菖蒲(しょうぶ)をかざったり、臣下の人に薬草を配ったりしました。また悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式などです。
男の子の節句になった由来
やがて武士の時代になると「尚武(しょうぶ)」=(武をたっとぶ)と「菖蒲」をかけて、端午の節句を尚武の節日として祝うようになったとの事です。

それがやがて江戸時代に幕府の重要な式日に定められたり、将軍の男児が誕生するとのぼりを立てて祝ったりしました。
このような事が、やがて庶民にも広く、男の子の節句として広まったものといわれています。
京甲冑・平安武久HP参照
私の子供の頃は、我が家では幟旗を立てて、母が柏餅やちまきを作ってくれた事を思い出します。
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