四国のかたすみで・・・
愛媛の宇和島から日々想うところを書き綴ります
<<港が自分を成長させた・・・・ | ホーム | 仕事帰りに時々港に寄る・・・・・・>>
自分のルーツを知る・・・
昼間に土佐清水市に住む親父から訃報が届いた。同じ部落に住む伯母が亡くなったそうだ。伯母は、亡くなった私の母親の一番上の兄の妻だった人だ。私の母親と兄弟達は両親を早くから亡くし、一番上の兄が仕事をして親代わりに下の兄弟達の生活を支えていた。伯母は夫の兄弟達の母親代わりをしていたわけだから、若い時は苦労をしたに違いない。
私の母は亡くなる年の正月の初詣の神社までの道すがら、親父に「こんなに幸せやっていいんやろうか?もういつ死んでもいい。」というような事を話していたらしい。兄が親代わりで兄嫁が母親代わり、兄の子供達の子守をしながらの生活と比べると、何かと大変な子育てが終わり夫婦だけの生活が既に20年程経っていた。
「正月の初詣に縁起でもない事を・・・(>_<)」と親父は母親を叱ったそうであるが、子供の頃の苦労を考えれば、どんなにか幸せだと感じていたに違いない。また、私の父親は赤ん坊のときに養子に出され、養子先の両親を早くから亡くしていた。また環境は別ではあるが同じような苦労をしていた。
そんな自分のルーツについて考えた日であった。週末は伯母の葬儀の為に土佐清水に帰るようになるだろう。願わくは自分も子供達にしっかりした彼らのルーツについての記憶を遺して逝きたいと思う。
私の母は亡くなる年の正月の初詣の神社までの道すがら、親父に「こんなに幸せやっていいんやろうか?もういつ死んでもいい。」というような事を話していたらしい。兄が親代わりで兄嫁が母親代わり、兄の子供達の子守をしながらの生活と比べると、何かと大変な子育てが終わり夫婦だけの生活が既に20年程経っていた。
「正月の初詣に縁起でもない事を・・・(>_<)」と親父は母親を叱ったそうであるが、子供の頃の苦労を考えれば、どんなにか幸せだと感じていたに違いない。また、私の父親は赤ん坊のときに養子に出され、養子先の両親を早くから亡くしていた。また環境は別ではあるが同じような苦労をしていた。
そんな自分のルーツについて考えた日であった。週末は伯母の葬儀の為に土佐清水に帰るようになるだろう。願わくは自分も子供達にしっかりした彼らのルーツについての記憶を遺して逝きたいと思う。
<<港が自分を成長させた・・・・ | HOME | 仕事帰りに時々港に寄る・・・・・・>>
コメント
コメントの投稿
トラックバック
| HOME |




